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THE(自)演劇批評 投稿者:平葭 投稿日:2013/03/30(Sat) 15:22:01 No.15

見てもらえる方に見てもらえれば良いかなとの思いから、ここに記しておきますね。
デーリーふみづくえ20130403号に掲載してもらう文章の元原稿です。
掲載文は校正かかるので、若干違う文章になります。
掟破りの自演劇評です。どうでしょう。


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ジョバンニが銀河鉄道の旅から帰った物語の終盤、牛乳屋のおじさんが大きなミルク缶を抱えて登場する。見るからに重たそうな金属製の缶には、MILK SKYWALKERの文字。満員の劇場でそれを見つけた観客が指をさして笑っていた。

「銀河鉄道の夜へ」が昨秋、はちのへ演劇祭で上演された。劇中に映画スターウォーズの台詞が何度か出てくることから、ミルク缶の文字はスターウォーズの主人公ルーク・スカイウォーカーをもじったものであることは明らかなのだが、ただのダジャレではないようだ。

原作「銀河鉄道の夜」の有名な書き出し。宮沢賢治は天の川の本来の姿は何かと問う。
「ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだと言われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
答えは星だ。たくさんの星の集まりが天の川を形成していることは誰もが知っている。でも賢治はミルキーウェイをあえて持ち出し、病弱な母のための牛乳をジョバンニに取りに行かせもする。となると「乳」は何かの象徴だ。「生命」か、あるいはもっと根源的なものかもしれない。

ストーリーを持つ劇作品は、物語が進むにつれ生じた出来事によって人物の内面が変化するのが一般的だ。
悲観的な性格のジョバンニが銀河鉄道で出会った人々に影響され自分らしさを取り戻すというのが本作品のストーリー。この単純な構図が、強固な劇的構造に飛躍できた理由は、カムパネルラを他者としてではなく、もう一人の自分として劇化、演出されている点にある。ジョバンニがこうありたいと願う明るく快活な姿、内なる本来的自己がカムパネルラなのだ。

本来あるべき自分。それは「取り戻したい」姿と言い換えることが出来るだろう。
かつて演劇文化が華やぎ、「演劇の街」と称された時代もあった八戸で、取り戻さなければならないもの。それは演劇人だけの願いではなかった。一か月の演劇祭期間中、連日連夜満席だった観客席が、市民も同じ思いでいたことを証明してくれている。

これほど市民に求められている演劇文化の灯を地域から消してはならない。復興を願わない人などいない。演劇祭が開催された「はっち」は、開館一ヶ月後に突然避難所となった場所であり、本来の姿を取り戻すことを主題とした作品がそこで上演されたというのは、その舞台空間の演劇性を決定的にしている。

シェイクスピアは「演劇は時代を映す鏡だ」と言う。この演劇が、八戸の今を映す鏡であるならば、復興に向けて、あるいは中心街活性化や地域づくり、文化芸術振興等に更なる取り組みを見せるこの街の生命線となるのが「はっち」であり、そこに上質な演劇こそを市民が求めている、と書いては飛躍しすぎだろうか・・・。

しかし演劇は飛翔する。現実世界では不可能だが、舞台の上では空を歩くことだって出来る。失われた時代を取り戻すべく、演劇祭をきっかけにした劇団が旗揚げする日も遠くは無いようだ。

(了)

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