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アミューズ(地元雑誌)11月号掲載原稿

文:加藤健太郎(八戸・劇団やませ)

『ろくでなしとは、甘く見たな』
 これは、大好きな映画『浪人街』のコピー。映画の内容もさることながら、これほどまでに胸躍らせる文句は、後にも先にもお目にかかったことがない。ちょうど十年前に公開された映画なのだけど、まずはこのコピーに魅せられて劇場へ行き、立て続けに三度観に行ったあげくに、ビデオまで買ってしまった。原田芳雄に勝新、石橋蓮司に田中邦衛と、通好みのにくい配役に加えて、この四人が勢揃いしたモノクロのポスターがかっこいいんだ、これがまた!
 江戸の下町、食い詰め浪人が集う所。通称「浪人街」。ここで、夜鷹の連続殺人が起こる。犯人は暇を持て余した旗本たち。権力の傘に隠れた旗本たちの横暴に、ある者は愛する女を救うため、またある者は、自分の武士としての存在をかけて、四人の浪人が立ち上がる。対する旗本は百二十人。四対百二十の戦いの行く末や如何に!と、いった内容の映画なのであるが、どうもこういう多勢に無勢というシチュエーションに弱いらしい。洋画でトップスリーに入る、ペキンパーの『ワイルドバンチ』だってそうだし、これまた大好きな黒澤映画にだってよく出てくる。
 こういう芝居を舞台で造りあげてみたいというのが、長年の夢であった。そして…なんと今回、その夢がかなうことにあいなったのである!
 『九戸城』ってご存じであろうか? 豊臣秀吉の全国統一で最後に落ちた城といわれている。いや、「いわれている」は語弊があるかもしれない。そのことはごく少数の人しか知らない事実であるからだ。日本史の教科書も、専門の辞典でさえも、全国統一は一五九〇年の小田原征伐で完了。これによって関東はもとより奥州までも平定されたということになっている。『九戸の乱』はその一年後。つまり、歴史からほぼ抹殺された城なのである。しかし、この闇に葬られた九戸討伐の規模たるや、実はそうとうなものであった。浅野、堀尾、井伊といった、いわゆる豊臣軍団をはじめとして、驚くべきことには、豊臣秀次、そしてあの徳川家康までもが討伐軍として、この陸奥の地にまでやってきているのである。その数、実に十万人。対する九戸勢は五千。絶望的ともいえるこの差。勝敗の行方は歴然かと思われた…しかし、それこそまさに、『浪人街』のコピー通り、「ろくでなしとは、甘く見たな」だったのである。
 劇団やませの創立三十周年記念公演となる今回の第二十六回本公演『九戸政実(くのへまさざね)』は、この九戸城の領主、政実を主人公に、圧倒多数の上方勢を相手に堂々と渡り合ったその姿を描いたものである。そしてまた、大軍に囲まれ、極限状態のなかでこそ、強く結ばれていく人々の絆を描いたものでもある。
 作者の言葉を借りていえば、まさにこの政実は、戦国の世の、日本のマクベスである。この三十年間、『海村』『我が内なるラピュータ』など、幾度も再演を重ねる我が劇団の代表作ともいえる作品が生まれたが、この『九戸政実』も、間違いなく今後も何度でも繰り返し上演していくことになろう。そう、自分でいうのもなんだけれど、傑作である。
 ここ数年は、私が演出を担当していたのだが、今回は三十周年記念ということもあり、東京のプロの演出家、栗谷川 洋先生にお願いすることになった。私が演出するようになったきっかけを与えてくれた先生であり、師匠ともいえる存在である。照明さんも音響さんも、はたまた今回の作品のテーマ曲をはじめとする作曲もすべてプロの方にお願いした。おまけに作者が気合いを入れて書きすぎたせいなのかどうなのか、登場人物が多いために、劇団員フルメンバーの出演による舞台となる。と、いうことは…そう、その通り、この私もやませの舞台デビューを飾ることになったのである。唯一の不安材料といえば、いえなくもない。
 さてさて、皆々様おたちあい!今、歴史の闇が切り開かれるのでございまする〜。


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