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アミューズ(地元雑誌)12月号掲載原稿
文:田中勉(八戸・スペースベン主宰)
「熱く語るキチガイで在り続けるために…」
「1人のキチガイと数人のバカがいれば、何かが動き始める。」
いつだったろうか、誰かがこんな言葉を口にしているのを聞いたことがある。
社会上、適切でない言葉であるのは承知しているが、これ以外に表現しようがないのだからしょうがない。
全く、その通りなのかも知れない。
金も力も無く、人脈もない。しかしながら、「ある思い」を持って人に熱く語ることしかできない人間。
そして、それに共感し、なんとか成し遂げさせようとする人間。 ちょっとだけ想像するとカルト集団のようにも思えるが、この力が正常に社会に向けられた時、絶大なる力を発揮し、一つの流れがウネリとなって既成概念を押し流し、新しい「常識」を打ち立てていくこととなるのだろう。
そしてまた、いつかその常識は非常識となり、新しい流れが新たな常識を樹立していく。
今流で言えば、ある意味それが活性化というものだろうか。
年齢や性別や職業などに関係なく、「思い」を持つ人間が何処かにいるはずであり、規模の大小はあるにせよ、時代はその人を見逃しがちで、後々評価される場合が少なくないが、後で評価するよりも、今のその人を評価し見逃さずに「芽」を育てていくことが大切なのであろう。
逆に言えば、何かを始めようとする人は、足を引っ張るような人間は捨て置き、逆境に負けない「強さ」を持つことも必要なのであろうが…。
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先日、青森市において上演された、モレキュラーシアターの作品(豊島重之演出)を観た。
1回の公演で観劇できるのは、限定された僅か40名。
どういう事なのだろうと思いながらも安達氏と会場へ向かい、整理券を受け取る。なんとか40人の枠に滑り込めた。
公演開始まではまだ少し時間があったので、安達氏と夕食をとりに何故か焼鳥屋に向かう。タビヨン劇場など、青森市に来て多少時間に余裕がある場合立ち寄ってしまう焼鳥屋「カミヤ」に吸い込まれるように入り、生ビールを注文する。
軟骨煮と適当に焼きとりを注文し、しばし雑談。
そう言えば、テレビからは日本シリーズの初戦の様子が流れていた…。
夕食?をとり、再び安達氏と会場である海縁の倉庫へと向かい、中へ入る。
倉庫の中には、プレハブのような物が建てられていた。客席はどこ?と思っているうちに開演の告知がされ、その建物の2階へと案内される。
!。そこには吊り革が40個。そうか、それで40人だったのか!
変な話、私はそれだけで幸せな気分になり、この公演の成功を秘かに確信していた。
部屋の中には換気扇が1個設置され、そこが開き1人の外国人女性が語り始め、物語ではない物語が始められていく。
その女性に視線を注ぎ、耳を傾けているうちに、突然階下で何かが蠢き始めた。
直下型とでもいうのだろうか、足下の透明なアクリル板を通して下で繰り広げられる展開に引きつけられて行く。
不思議なもので、私は始終吊り革に掴まり、そこから手を離す事が出来なくなっていた…。
今回、モレキュラーシアターのあるスタイルであるコロックが無いようなので、何故かと思っていたが、この疑問も途中で解消された。
なんと豊島氏自身が階下に登場し、今回のトータルテーマである「水辺」に関して対談を始めたのである。
「観客に観られ」ながら「観客を観る」。豊島氏の面白いスタイルが存分に発揮された場面ではなかっただろうか。
自分たちが何をすべきかを認識し、認識するだけではなく、それを観る側に適切に伝えることの出来る集団は誠に少ないが、モレキュラーシアターはその中でも数少ない表現者ではなかろうか。
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菊まつりの開催期間中である、先日10月29日(日)に、八戸公園内において「八戸縄文なべ祭り」が開催され、二千三百食のせんべい汁が無料で配布され、1時間足らずで配布が終了される程、盛況だったようです。
時間に間に合わなくて食べられずベソをかいてしまう子供。配布が終了してからも、なんとか自力で2杯目を狙い、スタッフ用のなべから勝手にせんべい汁を盛る、年配の女性。
様々なシーンが展開され、芝居よりも面白い物語が進行していたようですが、なんとか雨にも祟られず、味もとても良かったようでなによりでした。
次回も開催されるかどうかは、まだ未定のようですが、縄文是川の遺跡は、「ゴッドハンド」には汚されていないようですし、八戸の名物となり、八戸公園にも一層の人が訪れるようになってほしいものだと思っています。
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